2009年9月 日本に帰って来たruchika  3年半ぶりの日本に戸惑いながら しばらく英国の記事をアップしていきます。


by ruchikald

シェクスピアは誰だ?

ウォーリック城をあとに 

1日目の目的地 ストラット フォード アポン エイヴォンへ

こちらは シェイクスピアの縁のある地域で

イギリスで もっとも人気の高い観光スポットの一つです。

1564年 4月23日にシェイクスピアが産声をあげたと言われる生家
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中庭から 建物をのぞむ
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シェイクスピアの偉業にうたれた人々がこぞって訪れるこの土地

実父 手袋商人のジョンは

かなり稼業に成功しており 村の名士としての地位があったそう。

この家も当時としては なかなか立派な造りで

彼の生家が裕福だったことを 伺わせます。

両親が文盲だったにもかかわらず ウィリアムはグラマースクールに通い

ある程度の知性を身につけて 

父の家業を手伝いながら 年上のアン・ ハザウェイを娶り

ほどなく家族を放ったらかしにして 単身ロンドンへ 役者として旅立ちます。






舞台役者として かなり人気を博したそうですが

当時の記録はほとんど残されていません。

実は ご承知のように シェイクスピアについては 謎が多いのです。

彼の自筆の原稿はおろか サインも数えるほどしか残っていないそう。

(しかも そのうち 自分の名前の綴りさえ間違っている!)

率直にいうと シェイクスピアの戯曲は

役者のウィリアム シェイクスピアが書いたのではないかという

別人説が死後100年以降 盛んになってきました。

執筆された戯曲は ラテン語はもちろんフランス語やイタリア語を

政治 法律 金融 自然科学 海洋学 王室のしきたり 心理学など

あらゆる分野を広く 深く網羅しており

当代きっての最高の知性が土台になければ

およそ 完成しなかったであろうと考えられております。

そのようなインテリが 本の一冊も遺産として残していなかったというのは

不可解としかいいようがない・・・・というのが

シェイクスピア別人説の 所以なのであります。


じゃあ 誰か?

何人もいる候補者の中でもっとも有力と言われるのが

哲学者で法律家 政治家のフランシス・ベーコン 

(”知は力なり”

 う~ん スノッブが好きそうな候補者だ!

 20世紀の画家 フランシス・ベーコンの祖先でもあります) を筆頭に

何十人も名前が連なります。

中にはエリザベス女王だったという説や共同執筆という説もあり。

それに対して 

ストラットフォード派(ストラットフォード アポン エイヴォン出身の役者の
 
シェイクスピアが戯曲を書いたと主張する派)は

果敢に防衛しておりました。 

もし シェイクスピアが 本物じゃないとしたら 

観光地としてストラット フォード アポン エイヴォンは成り立たなくなるでしょうから・・・・




でもね こういう謎は 謎として残していたほうが 楽しい。

誰が本当の執筆者であろうと

残された戯曲の素晴らしさには 全く瑕疵がつかないのですから。

で 論争している本人たちも

自分たちの説を立証しようというより

他説をあげつらうことに この上ない喜びを感じている人たちなんだから

ちゃんとした真犯人(?)が 登場されちゃ 困るわけですよ。

この屈折した精神構造 イギリス的だわ。

こちら以外にもシェイクスピアの孫娘が夫と住んでいたナッシュの家と

ニュープレイス ( 18世紀に 当時の家主が観光客が

自分の家を無断で覗きにくる煩わしさに取り壊してしまった)や

シェイクスピアの娘と 夫が住んでいたホールズ・クロフトがありますが

こちらは ワタクシ行っておりません。

そして 妻のアン ハザウェイの生家も時間切れ
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by ruchikald | 2009-07-01 01:42 | 旅-UK